天穂日命
あめのほひのみこと
天照大御神(あまてらすおおみかみ)の第二皇子として生まれた神様です。『古事記』『日本書紀』では、高天原の神々より交渉の使いとして大国主命(おおくにぬしのみこと)のもとへ派遣されますが、そのまま大国主命の側についてしまったとされています。一方では、出雲国造が朝廷に参内して披露する『出雲国造神賀詞』の中では、きちんと任務を果たし、子の天夷鳥命(武夷鳥命)らを天降らせたりして、大国主命に国を譲らせるのに功があったことになっています。神名の「ホヒ」は「穂」は稲穂を表しているとも「火日」を表しているとも云われており、農業の神、稲穂の神、養蚕の神、木綿の神、産業の神として信仰されております。
武夷鳥命
たけひなどりのみこと
天穂日命の皇子として生まれた神様です。
出雲国造や大相撲の祖として知られる野見宿禰(のみのすくね)、菅原道真公(すがわらのみちざねこう)が、武夷鳥命の子孫にあたります。
素盞嗚命
すさのおのみこと
天照大御神・月読命と共に『三貴子』と称される神様です。太陽・月に対し風雨に象徴されています。 高天原から葦原中国の出雲へ降り、八岐大蛇を退治したことから武勇に秀でた神様としても有名です。中世以降は牛頭天王(ごずてんのう)と習合されるようになるとあらゆる災難から守る神様としての神格も兼ね備えられました。
御由緒
花崎の鷲宮神社は、花崎総鎮守の氏神様(土地を守り住民の御先祖にあたる神様)です。
『新編武蔵風土記稿』(文化文政期成立)には、花崎村の名前を見ることができます。当時の花崎は上組・下組に分かれており、上組には曹洞宗牛頭山法泉寺持ちの八坂社が祀られ、下組には真言宗花蔵院持ちの鷲明神社が祀られておりました。両社共創建は不明です。鷲明神社は、正徳4年(1714年)に宗源宣旨を受けています。
明治期になると、神仏分離により花蔵院の管理を離れ、社号を今日の鷲宮神社と改めて、社格は村社に列せられました(終戦後から社格制度は廃止されています)。明治41年(1908年)には上組の八坂社を本殿に合祀し現在の鷲宮神社となりました。